◉9月の誕生石
鉱物名:spodumene(スポジュミン/スポジュメン)
和名:リチア輝石。
スポジュミンの中でピンクラベンダー色のものがクンツァイト(kunzite)
クロムで緑色に発色しているものがヒデナイト(hiddenite)
宝石として認識されたのは比較的最近の石。


筋が見えるように割れ易い石。
名付けまでの歴史
加熱すると砕けて灰色になってしまうことからギリシャ語の「燃えて灰と化す」の意味のspodumenosが語源。
リチウムを主成分とした輝石。
殆どが灰色〜白だったので宝石業界では認識されていませんでした。
1877年にブラジルのミナス・ジェライス州で黄色い透明な宝石質の結晶が発見されます。
当初クリソベリルの仲間と思われ、ギリシャ語で「3通りの顔」の意味のtriphane(トリフェーン)と呼ばれました。
角度によって色が違って見える石は多色性あり、となります。
クンツァイトの中にはブラックライト(UVライト)を当てて消した後も暫く光り続ける燐光を示す石もあります。
1879年にアメリカのノースカロライナ州で緑色の結晶が発見されます。
ダイオプサイドの新種と思われ、鉱山の監督の名前に因んでhiddenite(ヒデナイト)と命名されました。
のちにクロムによって緑色になったスポジュミンであることが判明します。
緑色でもクロムが起因でない場合はグリーン・スポジュミンになります。
1902年にカリフォルニア州でラベンダー色の結晶が見つかり「カリフォルニア・アイリス」の愛称で呼ばれます。
宝石学者ジョージ・クンツ氏の調査の結果、スポジュミンの変種と判明。
1903年にアメリカのサイエンス誌に紹介され、クンツ氏に因んでkunzite(クンツァイト)と命名されました。
ラベンダー色はマンガンによるものです。
光との関係
アフガニスタン産のスポジュミンは直射日光を浴びると30分程でピンクのクンツァイトになります。
逆にブラジル産は逆に褪色してしまいます。
白熱灯の下では美しいラベンダー色に見える為「夜の宝石」と呼ばれました。
クロムで発色しているヒデナイトは変化せず色は安定しています。
写真の石(私の持っている石)
一般的にクンツァイトは透明なラベンダーのものが人気です。
「筋」が結晶の特徴です。

一方、マットなラベンダー色のものもあります。
細かい筋が密集してマットになり、キャッツアイ効果が見られるものもあります。
個人的にはマットなクンツァイトがお気に入りです。
写真右上のマットな濃い色のビーズはナイジェリア産で、その他の石の産地は不明です。
緑色のものもありますが、クロム由来の色ではないのでグリーン・スポジュミンとなります。
ジョージ・フレデリック・クンツ氏
1903年命名の比較的新しい石なので言い伝えはありませんが、名前の由来となったクンツ博士について語ることは沢山あります。
占いをしている方なら彼の著書を読んだことがあるかもしれません。
1913年9月「The Curious Lore of Precious Stones」出版。
図説「宝石と鉱物の文化誌:伝説・迷信・象徴」鏡リュウジ監修
この本に先駆けてクンツ氏は
1891年「Natal Stones:Sentiments and Superstitions Connected with Precious Stones(貴石にまつわる言い伝えと迷信)」を出版しています。
36ページの本ですが、誕生石の聖書とヒンドゥー教の起源の様々な伝説を纏めました。
この本をキッカケに「誕生石」への関心が高まりました。
1912年に全米宝石商協会はクンツ氏の誕生石リストを公式化しました。
生涯、多くの著作を残したクンツ氏。多くは鉱物学的視点のものですが、伝説や言い伝え、歴史、文化、精神世界との関係など。
幅広い関心を持ち、その方面の知識の収集も行い、著作として残してくれました。今でも私たちが楽しめる内容です。
クンツ氏は
・誕生石の基礎を作った
・半貴石の価値を宝石レベルに上げた
・クンツァイト、モルガナイトの発見
・宝石を鉱物学・化学的側面だけでない文化・歴史の中で人との関わりを解き明かそうとした
宝石のバリエーションを広げ、石との関わり方に夢や想像性を与えてくれた人です。
商売人としてのセンスも抜群だったようです。
クンツ氏の略歴
ジョージ・フレデリック・クンツ(George Frederick Kunz)。
アメリカ生まれの彼は10代までに4,000点もの鉱物を収集し、ミネソタ大学に400ドルで売却しました(2023年のドル換算で8,000ドル、日本円で約100万円)
彼自身が「お金のためではなく世間に鉱物コレクターであることを知らしめるため」と語っています。
経済的な事情で大学に進学することなく独学で鉱物学を習得。当時アメリカでは宝石に関する知識も、宝石学というジャンルもありませんでした。
アメリカで最も権威のある宝石商は1837年にチャールズ・ルイス・ティファニーによって設立されたティファニー社。欧米では「ビッグ4」ダイヤモンド、エメラルド、ルビー、サファイアのみが宝石であり、ティファニー社の取り扱いもビッグ4でした。
1875年、19歳のクンツ氏はグリーンのトルマリンを宝石のようにカットすることをプレゼンします。
その実験的なコレクションはあっという間に完売。
1879年、ティファニー社はクンツ氏を宝石専門家として採用。
その後23歳の若さで副社長になり、亡くなるまで在籍し、最終的には理事に昇進します。
クンツ氏が任されたのは半貴石を含む宝石のカッティングやデザインのディレクター、新鉱山の発見など宝石全般です。
宝石に対する類稀なセンスと自己アピール力と実行力。
著作も多い研究者としても、現在の宝石業界にクンツ氏が与えた影響は大きいです。
新しい宝石との出会いも多く、宝石の神様に愛された方なのかもしれません。
1932年、75歳で亡くなります。遺産は11万4,000ドルと言われています(現在価格では200万ドル以上)
1933年、死後、数千冊の宝石学・鉱物学の蔵書(資料、書籍、パンフレット、論文等)を1ドルで米国地質調査所図書館(USGS)に「置き土産」として売却しました。
クンツ氏の死後、「宝石専門家」から「宝石学者」と宝石の専門家への呼び名が変わりました。
クンツとチャールズとのタッグ
1889年のパリ、1893年のシカゴ、1895年のアトランタ、1900年のパリ、1904年のセントルイス。
それぞれの万博での展示の統括も担当しました。
特にパリ万博では2つの金メダルを受賞しています。
有名なのは「Bird of the Rock」セッティングの128.54カラッとのティファニー・イエロー・ダイヤモンド。
通称カナリアダイアモンド。

クンツ氏がティファニーに入って直ぐに取りかかったプロジェクト。
通常の58面カットより24面多い82面カットを採用し、石のポテンシャルを最高に引き出しました。
カナリアダイヤモンドを身につけたのは、これまで4人の女性のみ。

①1961年「ティファニーで朝食を」のプロモーションでオードリー・ヘプバーン。
②2019年アカデミー賞授与式でレディ・ガガ。
③2021年ティファニーの広告でビヨンセ。
④残り一人は不明。
私の学生時代はディファニーといえば
シルバーのオープンハート
婚約指輪のティワニーセッティング・ダイヤモンド
いわゆるバブル時代。
その印象が強くてティファニーがこんなにも宝石の世界で大切な役割を果たしていたことを知りませんでした。
ティファニーとクンツ氏が広めた宝石にはデマントイド・ガーネット、アレキサンドライト、タンザナイトなどがあります。
二人のお話はまた別の場所で書きたいと思います。